

私立竜天寺(りゅうてんじ)学園、そこは自由を求める者たちの箱庭。
永遠のような一瞬と、幻想のような現実の中、青年たちは今日も手探りで、そこにあるはずの何かを掴もうとしていた――
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梅雨の中休み、日差しにも夏の気配が色濃くなってきたこの頃、学生たちの気運もまた、にわかに盛り上がりを見せていた。
「今日は一段とやかましいな……」
久し振りのクラブ活動に励む生徒をよそ目に、青年はいくらか気怠げに呟く。
「……それで、この僕に一体何の用?」
彼の目の前には、緊張に顔を紅潮させている少女が一人。もうかれこれ5分近く黙ったままだが、彼にはこの展開に覚えがあった。
放課後、中庭、手紙での呼び出し。ときたら、次にくる言葉は決まっている。
「あ、あの! 私、入学した時からずっと、先輩のこと気になってて!」
華奢(きゃしゃ)な体を震わせながら、少女は一気にまくし立てる。
それは、告白だった。学園生活にもようやく慣れてきた一年生が、その勢いで憧れの上級生に告っちゃおうという、まさに絵に描いたような青春の一ページがここに――
「つまり、君は僕に恋愛感情を抱いていると?」
だが彼は、そんな甘酸っぱさを堪能する素振りすら見せず、何やら小難しい表情を作っていた。
そんな様子に戸惑いながらも、少女はその首を縦に振る。
「成る程ね……確かに僕なら、君の願いを叶えられるかも知れない」
「だったら――」
「だけど、君は“運命の片割れ”ではないから。“天恵(てんけい)”を受けている僕とは、歩みを共にすることができないんだよ」
彼――銀髪にロングコートという風貌の青年――は、こともなげにそう言い放った。
高校生なのに、夏なのに……この一番に首を傾げたくなるポイントは、彼女も納得した上での告白だったはずだ。ここは、竜天寺学園なのだから。
世間ではあり得ないことが、意外とあり得る。何より、彼は黙っていたら十分イケメンと言っていい容姿をしていた。
しかし……残念なことに、彼は黙っていてはくれなかった。
「詳しくは“禁則”に抵触するから言えないけど、僕は“邂逅(かいこう)の七夜(ななや)”に運命と出会わないといけない。この10と7年間、僕はただそのために生きてきたから……」
風になびく銀髪を左腕でかき上げながら、虚空に向けて呟く。
その横顔を眺める少女の瞳は、既に憧れから怯えへと色を変えていた。
青年の名は、朱雀院(すざくいん)彼方(かなた)(偽名)。そう、彼方は尋常じゃないレベルの、中二病患者だった。
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私立竜天寺学園は、都心から急行で約40分、そこから学生専用バスに揺られること15分という場所にある全寮制の高校だ。程よい田舎風景と広大な敷地を有していることもあってか、映画やドラマのロケ地としても人気が高いらしい。
しかし、何と言っても有名なのは、現統括理事であり学園の創設者でもある竜天寺轟(ごう)が掲げた、「反学歴社会」というモットーだろう。
学園が与えるのは必要最低限のカリキュラムのみ、後は生徒の自主性を最大限に取り入れていくという独自の経営方法は、創設時から今現在まで多くの批判に晒されてきたが、同時に学問からスポーツ、芸術の分野に至るまで、数多くの著名人を輩出してきている。
いつの時代も、やはりここに通う学生は良くも悪くも世間ズレしている傾向が強く、それぞれが思い描くままに、自由な学生生活を送っていた。
そして、そんな曲者揃いの学園の中で、朱雀院彼方を自称する彼もまた、その偽名に恥じない異彩を放ちまくっていた――
「今日の風は、やたら喉元に絡みついてくるな……」
人気のない廊下で、彼方が一人呟く。
恐らく、ただ単に蒸し暑かったのだろう。既に辺りは薄暗く、既校内の空調は切られていた。
にも関わらず、彼方が未だに帰らずにいるのには、大きな理由がある。名も知らぬ下級生をけんもほろろにフったのが、もう十日前の出来事……と言うのは彼方にとっては忘却の果てなのだが、その時にも口にしていた“邂逅の七夜”というのが、まさに今日この日なのだ。
(17度目の生誕と共に、僕は“運命の片割れ”と邂逅する……)
7月7日、七夕――この日こそが、朱雀院彼方にとって17歳の誕生日だった……言うまでもなく、設定上の。
要するに、「17歳になったら運命的な出会いがある」という自分設定を信じて、彼方はこれまで頑なに独り身を貫いてきたのだ。
そして、いつからかその振る舞いには、好奇の視線が寄せられるようになった。それは、さすがにこの竜天寺学園でも例外ではなく、彼方が最初の二学期を迎えた頃には、大多数のクラスメートが彼と親しくすることを諦め、反面事情に疎い連中はうっかり近づいてしまって大やけど、という悲劇が繰り返されるようになっていた。
もっとも、自分を特別だと信じて疑わない彼方にとって、そんな評判もどこ吹く風だったが。
「七夕か……」
何を待っているのか、依然校舎をうろついていた彼方が、思わずその足を止める。
目の前には、エントランス狭しと設置された超特大の七夕飾り。
そして、電飾のように散りばめられた、願いが込められた短冊たち。
この催しも、数年前から生徒たちが自主的に始めたものだ。ちなみに、まさに今グラウンドではメインイベントの真っ最中である。
彼方はそれを知りながら……いや、知っていたからこそ、こうして一人校内に残り、特別な立場を感じながら短冊を眺めていたのだ。
「世界平和……二次元に行きたい……大金持ちになりたい……まったく、どれも凡庸だな。わざわざ僕の“天啓”を行使するまでもない、願いとは程遠い戯れ言ばかりか」
なぜ叶える側の目線なのか……でも、この上から目線のてんこ盛りは、彼方の緊張の表れなのかも知れない。何度も言うように、今日の設定は彼にとって特別なものなのだから。
確かに、彼方は今までにも数多くの自分設定を打ち立ててきた。悪魔と契約した左目、神と直結している左耳、伝説の吸血鬼と同じ左奥歯、雷を掴みとる左腕、ギガンテスの力を宿した左足……左半身が改造人間になる勢いで設定を付与しては、それに合わせたイベントも用意してきた。
しかし、それが実現されることは、一度としてなかった。
その度に「因果律の環が……」だの「それが世界の選択か……」だのと言ってやり過ごしてきたものの、さすがに今回はかけてきた時間が違う。不発に終わったら……という不安を感じていてもおかしくない。
「まったく、織姫と夏彦も難儀しているだろうな……これじゃぁ、宇宙(そら)で逢っていても落ち着かないぞ」
彦星と言わないのは、彼方なりのこだわりだろうか――
「!? 誰だ!」
瞬間、違和感を感じた彼方が叫ぶ。
反応はない……なかったのだけど、次第に、それは近づいてきた。
スタン、スタンと、一つずつ。一歩ずつ、足音が近づいてくる。
(こ、こんな時間に誰が……)
彼方は、確かに待っていた。しかし、だからその事態に適応できるかと言ったら、それは全く別の話だった。
スタン、スタンと、真っ暗な廊下から、光あるエントランスへ。足音が近づくにつれて、次第に像が結ばれていく。
(……生徒……?)
彼方の視線が、吸い寄せられるように輪郭をなぞる。
そして、遂にその姿を鮮明にととらえた瞬間、初めて彼方は鼓動の止まる音を聞いた――
「…………」
スタッとエントランスに踏み入り、無言でその足を止める。
その音の持ち主は、女生徒だった。
凜と立つという曖昧なフレーズも彼女に対してなら使っても構わない、そう誰もが納得するような堂々とした立ち姿で、彼女はそこに現れた。
だから、一瞬で理解した。彼方は、一瞬で理解してしまった。
「君、だったのか……」
見つめているのか、見つめさせられているのか、彼方が僅かに歩み寄る。
「……何が?」
女生徒からは、興味とも無関心とも取れる、掴み所のない雰囲気だけが投げ返される。
「間違いない!君こそが僕の“運命の片割れ”!出会うべき人だ!」
彼方の叫びが、エントランスにこだまする。
音量だけではなく、情感まで。まさに渾身の叫びだった。
しかし――待っていたのはたった数秒の沈黙と、変わることのない表情。
「随分熱くなっているようだけど、それは貴方の勘違いよ」
そして、彼方の望みとは程遠い返事だった。
状況からして、普通だったらもう少し、いや、かなりの驚きがあってもいいはずだ。ネガティブな方向であっても構わない。こうして一切ペースを乱すことなく返されるより、よっぽど彼方も次の言葉を紡ぎやすかったことだろう。
「な……でも……」
だから、彼方は惑ってしまった。理解が、一瞬で反転してしまったから。
「私は、貴方に会いにここに来た訳じゃない。ただ、願いをかけにきただけよ」
戸惑う彼方を意に介さず、女生徒はポケットから短冊を取り出し、巨大な七夕飾りに歩み寄る。
このままでは、ただ淡々と事が終了してしまう――
「ちょっと待てよ!」
振り絞るように、彼方が叫ぶ。長年の設定を、簡単にふいにはできない。
「何よ?」
「わざわざ短冊に託すことはない。君の願いは、僕が叶えてみせる」
「……どうやって?」
女生徒の瞳が、微かに揺らぐ。もっとも、それが何に起因しているのか、彼方には分かるはずもなかったのだが。
「僕は、普通の人とは違う。力がある!そしてそれは、君の願いを叶えるための力でもあるんだ!」
どこかすがるように、彼方は女生徒に向かって踏み出す。
「その自信がどこから来るのかは知らないけど、少なくともそんな力じゃ、私の願いは叶えられないわよ」
しかし、女生徒は決してその距離を縮めさせず、まるで何事もなかったかのように、短冊を七夕飾りに結び始めてしまった。
絶対に自分には叶えられない願い――そう宣告された彼方の目に、今度はその短冊が否応なしに飛び込んでくる。
そして、彼方は目を疑った。そこに書かれていた言葉が、願いが、全く見たこともないものだったから。
短冊には、ただ一言こう書かれていた。
『いつか月に帰れますように 姫紙夢月』
冗談めいた雰囲気……など欠片もない。
そもそも明日朝には撤去される笹の木に、今更冗談を括りつける意味もないし、帰れますようにという言い回しも不自然だ。
だからこそ、女生徒にとって、短冊によると姫紙夢月にとっては、これこそが心から空に届けたい願い事だった。
「つ、月に帰るって、一体どういう……」
「まだ、分からない?」

何とか会話を繋ごうとする彼方に、夢月が問いかける。
「……何が?」
逆にすっかりペースを乱されてしまった彼方を払うように、夢月は身を翻し、窓の外の空を眺めながら呟いた。
「本当の私は、“月の民”なのよ」
三日月の髪留めに束ねられたポニーテールが、風もないのに揺らいだ気がした。
その眼差しにもやはり、残念ながら冗談の色はない……そう、姫紙夢月もまた、彼方と同じ病気の持ち主だった。
七夕の夜、彼方の言葉を借りるなら“邂逅の七夜”。ひしめき合う願いの中、人知れず出会いの物語が幕を開けてしまおうとしていた――
→Vol1(前半|後半)